宮古島ってどんな島?(宮古島のお墓)
コーディネーターのKOKOです。
宮古島を観光していてお墓が大きいと思う人は多いと思います。
どうして、こんなにお墓が大きいのでしょうか?
それは、風習の違いからくるものです。
今回は、日本の他の地域と違う、宮古島の風習とお墓についてお話しましょう。
目次
正月が年に3回?
宮古島にはお正月が3回あります。
1つ目は、新暦の1月1日。これは、全国共通です。
2つ目は旧暦の1月1日。
宮古島を始め、沖縄では、祭事は旧暦のカレンダーで行われることがほとんどなので、正月祝いも、もともとは旧暦だけでした。
3つ目のお正月は、ご先祖様のお正月で、旧暦の1月16日です。宮古島では、これを16日祭とよび、3つのお正月の中で、最も盛大にお祝いされます。
日中は、地域によっては、ご先祖のお墓の前で正月祝いの食べものをご先祖様と一緒に食べ、夕方からは、親族が家元に集まり、宴を続けます。
宮古島のお墓は、他の日本の地方に比べて大きいものが多く、墓の前も庭のように広い空間があり、お墓の前で食事をすることもできるのです。
死は後生の世界への旅立ち
宮古島では、死は後生の世界への旅立ちなのです。
後生の世界には現世と同じような世界があり、以前に亡くなった祖先と会うことができ、農業なども行われていると考えられています。
そのため、お墓の中に日用品や家具を置いている家もあるようです。
洗骨の風習
日本では、もともと土葬でしたが、皇族、僧侶の間で火葬がひろまり、江戸時代には庶民の間でも火葬が浸透しました。
一方、沖縄、奄美地方では、ご遺体を風葬するという風習が長年続いていました。
数年後に白骨化した遺骨を水で洗い清めて壺にいれてお墓に収めるという「洗骨」を行います。
20年ほど前からは、宮古島でもほとんど火葬されるようになりましたが、これまでの洗骨の風習のために、お墓は大きくて家のようなものが多いのです。
お墓のかたち いろいろ
宮古島は、もともとは、庶民は自然洞窟を利用したお墓を利用していて、位の高い人は、平地式の石積み墓で、「みゃーか」と呼ばるお墓を作っていました。
宮古島が琉球王府の支配下になって最初の宮古島の首長である、仲宗根豊見親のお墓は、もともと宮古島にあった石積み様式と、沖縄本島の横穴式の折衷様式です。
その後は、亀甲墓などの様式が宮古島にも入って来ました。
現在は、新しいお墓のほとんどは平地式の家形墓だと思いますが、一部、日本の他の地方と同じ塔式墓の墓地もでてきています。
国の重要文化財である仲宗根豊見親のお墓は、街中から徒歩で行ける場所にありますし、一見の価値はありますよ。
宮古島の信仰については、以下の「御嶽(うたき)」や「琉球の信仰の起源」のページを参照してください。
次回は、宮古島の歴史や文化に関するお話をご紹介
次の機会には、宮古島によくある名前についてご紹介しようかな。
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