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宮古島ってどんな島?(ミャークヅツ)

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コーディネーターのKOKOです。

これまで、琉球の信仰についてや、沖縄の聖域であるである御嶽(うたき)、そして祭祀をとりしきる女性「つかさ」について記事を書きました。

宮古島はつかさを中心に集落、地域によって様々な祭祀が行われています。

 

今回は、池間民族最大の祭祀「ミャークヅツ」についてお話しましょう。

 

(C) SevenSeasMiyakojima

 

池間民族って?

現代で、自分は「何民族」とか言うことはあまりないですよね?

でも、池間民族とは、いわゆる国家を形成する「民族」というのではなく、池間島にルーツを持つ人々のことを指します。

現在、池間民族は池間島、伊良部島の佐良浜、宮古島の西原に分かれています。

 

よく、「誇り高き池間民族」と言われますが、周囲の池間民族の方々をみても、自分たちの祖先や自分たちにとても誇りをもち、仲間の絆の強さを感じます。

 

 

池間民族はなぜ分村した?

なぜ、池間民族が3か所に分かれたのでしょうか?

 

それは、江戸時代にさかのぼります。

琉球王国が1609年、薩摩藩の支配下に置かれると、宮古島も薩摩藩に間接的に支配されるようになります。

その20年後、1629年には宮古島にも薩摩藩の役人が常駐することになりました。

 

1637年には人頭税制が施行され、数え15歳~50歳未満の男女は納税をしなくてはならなくなりました。

納めるものは、主に男性は穀物の粟、女性は織物です。

人々はこの重い人頭税に苦しみました。

 

池間島は特に面積が小さく耕地が少ないため、税を納めるための穀物を育てることが困難でした。

そこで、サバニという船で対岸の伊良部島へ渡り、原野を開拓して田作りをしたということです。

ただ、毎日伊良部島へ渡って耕作するのはとても労力がかかるので、ついには伊良部島へ移住することになりました。

 

18世紀中ごろ、池間の一部の人は強制的に伊良部島に移住させられ、佐良浜と国仲に村が作られました。

その後1874年には池間島から宮古島の西原へ移住し、西原村が作られたのです。

 

 

ミャークヅツの起源

江戸時代、池間島の人々は、重い人頭税に苦しんでいましたが、追い打ちをかけるように池間島は何年となく凶作となり生活に困り、子どもが他の村へ身売りされることもしばしばありました。

 

その後、ようやく豊作に転じ、生活も楽になり、他の村へ出されていた人も帰ってこれるようになったころ、この喜びを反映して、豊作、豊漁、村人たちの健康、村の繁栄などを感謝する祭りとして始まったのです。

 

ミャークヅツは、「楽しい月」という意味なのです。

 

 

ミャークヅツはいつ行われる?」

ミャークヅツは、池間、佐良浜、西原の3か所で、毎年旧暦8~9月の甲午(きのえうま)の日から3日間(4日間の地域もあります)行われます。

 

普段は島民も入ることのできないウハルズ御嶽にも、この期間だけお参りができるので、普段、池間島や宮古島に住んでいない池間民族も、戻って来てウハルズ御嶽にお参りをします。

 

池間民族が移住して作った佐良浜と西原にもウハルズ御嶽があります。

 

 

池間島のミャークヅツ

それぞれの地域で多少違いますが、KOKOは池間島にゆかりがあるので、池間島のミャークヅツについてお話します。

ミャークヅツの主役は55歳以上の男性で、「ムトゥ・ヌ・ヤ」といいます。

 

池間島には、「ムトゥ」と称される集会所が4か所あります。

真謝(マジャ)、上げ枡(アギマス)、前の家(マエヌヤー)、前里(マイザト)

 

普段、この「ムトゥ」は雨戸が閉まっていますが、ミャークヅツの日が近づくと、それぞれの「ムトゥ」に所属する人たちで掃除をし、空気の入れ替えなど準備を進めています。

 

池間島で子どもが生まれると、その次のミャークヅツの2日目、「ナカヌヒ」に、4つのうちの1つの「ムトゥ」に登録します。

親と同じ「ムトゥ」に登録します。

そして、55歳になると、男性は初めて自分の「ムトゥ」の宴の仲間入りとなるので、ハツウヤ(初親)と言われます。

 

お祭りの3日間、ハツウヤは「ムトゥ」の清掃、台所、接待のまかないを一手に引き受けます。

55歳となると、一般社会において地位の高い人もいますが、ここでは、かたくなな年功序列なのです。

 

「ムトゥ・ヌ・ヤ」以外の島の男性、子どもや女性たちは、ミャークヅツ2日目、「ナカヌヒ」に、お酒を持ってムトゥ周りをして、ムトゥで宴を催している「ムトゥ・ヌ・ヤ」たちにご挨拶をするのです。

ムトゥによっては、ムトゥ周りをする私たちも皆さんの前でひと踊りしたり、ご挨拶をする場合もありますが、島の年配の方々と接するよい機会です。

 

(C) SevenSeasMiyakojima
(C) SevenSeasMiyakojima

 

午後には、島の広場に4つの「ムトゥ」のメンバーが集まり、「クイチャー」という宮古島の伝統の踊りを踊るのです。

クイチャーは「雨ごい」の踊りと言われ、豊作を願う踊りで、地域によって踊り方は違います。

 

クイチャーは観光でいらした方も見ることもできます。

池間島のクイチャーは迫力があるので見ていても面白いですよ。

 

 

次回は地域で行われているほかの祭祀についてもご紹介

次の機会には、別の祭祀についてもご紹介しますね。

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この記事を書いた人

KOKO(コーディネーター)

天皇陛下の日本山岳会入会にも尽力した同会元会長の父の影響で、学生時代から登山やスキーを行う。外資系会社を経て、通訳を兼ねながら生物学者・故ジャックモイヤー氏と共に海辺の環境教育を行ったり、旅行会社にてエコツアー企画を担当し日本にインド洋のクリスマス島を紹介するなどエコツアー・環境教育の現場の最先端を走り続ける第一線ネイチャーガイド。現在は宮古諸島において、エコツーリズムの普及や海辺の環境保全に尽力している。 [資格等]

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